ロシア人彼女との思い出

偶然、別のブログで日本人男性がロシア人女性と付き合った時の話が紹介されており、それを見てなぜか最近よく思い出す、自分自身のロシア人女性との思い出を何らかの形で残しておきたいと思い、開設しました。もう15年以上前の話です。大事な思い出だから文字にして残したいけど日記みたいにして奥さんに見つかるのも嫌だしという事で、ブログとして残す事に決めました。

10. ダリヤとの別れ

いよいよ帰国当日が訪れてしまった。正直、今こうしてあの日の事を思い出しながらこれを書いていると、当時の感情が蘇り、泣きそうになる。

 

ダリヤが飛行機に乗った。私は最後まで展望台で見ていた。ついにダリヤはロシアに帰ってしまったのだ。前日までに「帰ってもメールとか電話でいくらでも話せるでしょう」とダリヤが涙を流しながら言ってくれたが、今までよりもハードルは極端に高くなってしまったのは事実である。

 

飛行機は離陸した。ダリヤは本当に帰ってしまったのだ。

 

ここからが地獄だった。6-7時間かけてここまで来たのを帰らなければならないのだが、ダリヤと一緒に昨日来た道を反対方向に走るものだから、行く先々で鮮明な記憶が蘇る。ダリヤと一緒にはしゃいだ砂浜。ダリヤがリンゴを買ったコンビニ、全てで誰にも見えない場所に車を停めて、ずっと泣いてた。

 

追い打ちをかけたのはダリヤが前日にデジカメで撮った動画である。これを見るのはこの日が初めてなので車の中でそれを見てはずっと泣いてた。結論から言うと、往路6-7時間の道がそんなこんなで復路は12時間かかってしまった。もちろん、帰宅してからも一人で大泣きである。

 

これが、日本でのダリヤとの最初から最後までである。

もちろん続きもあり、この後ダリヤの件でこの「最後の日」以上の悲しみを味わったりもしたけれど、ダリヤとは今も良い友達としてよく連絡も取り、たまに日本かロシアで会っている。(コロナ・ウクライナ戦争など色々あり、最近は会えていないのが残念だが)

 

私・ダリヤの現況、後日談は改めてアップさせて頂きます。

 

 

9. ダリヤの帰国

一年間のダリヤの留学期間(性格には10カ月くらいだったと思う)の終了が近付くにつれ、「帰国日」が近くなり私は毎日悲しみに暮れていた。帰国後二人の関係はどうなってしまうのか。精神的にもダリヤに依存していた私は就職活動も全くせず、何もできないような日々を過ごしていたが、ついにその日が来た。

 

ダリヤの帰国のため、ダリヤを車で6時間程かかる空港まで車で送っていくことになっていた。当日の朝、なぜかダリヤは不機嫌で私が「もうすぐ家に迎えに行く」と電話で話しても、準備がもう嫌だという様子だったが、到着してみるといつも通りのダリヤだった。

 

ダリヤを車に乗せ長いドライブが始まった。途中、海沿いを通る時は二人で砂浜に降りて足だけ海水浴したりもした。その後ダリヤは近くのコンビニへ行き、リンゴを買い、コンビニのトイレの手洗い場でそのリンゴを洗ってから食べていた。(日本人の感覚からすると少し?な行動だと思った)

 

目的地まではほぼずっと海沿いなので夕焼けが非常に綺麗だった。それまでダリヤは車のダッシュボードに入った色んなCDをあさり、色んな曲をかけていたがその時に自分の大好きな曲をかけた。音楽がかかっている時に夕陽、車内、そして車内の二人を私の最初にダリヤと出会った時に使ったデジカメで自撮りしていた。

 

やがて目的地に到着したが、フライトは翌日なのでその日はその街で一泊した。この時点で私は翌日の別れを完全に実感し、事あるごとに泣くようになった。ダリヤの方も寂しそうだった。涙を流していた。一方で、どこか「ようやく故郷に帰れる」という嬉しさや安心感がある雰囲気もあったと思う。その日は夜遅くまでダリヤと話していたのもあるが、ほぼ眠れなかった。

 

8. 結婚

1年間なんて、楽しければ尚更だがあっという間である。

 

ある日、ダリヤとプールに行った時にプールで抱き着かれた時に「**のまま***したい」(ご想像にお任せします)と言うと、「結婚したらね」と一言言われ、向こうにもその気が!?と狂喜してしまった。

 

結論から言うと、ダリヤと結婚する事は無かったのだが。

7. 初めてのキスの後

初めてダリヤと別れ際にキスをした後は、上手く言えないがそれまでよりももっとお互いの事を気軽に、深く話が出来る関係になったと思う。この頃もドライブで色々な場所へ行き、色々な物を一緒に食べたりした。

ある日、ダリヤが家に泊まりに来た時に夜23:00頃だっただろうか、一緒にソファーに座って話をしていたところダリヤから手を取られダリヤがダンスのようなものをし始めた。体が密着し、正直どうして良いのか分からなかった。(しつこいですが奥手で積極的では無く)

 

結果的にその日、初めてダリヤと一緒に朝を迎える事となった。ここまできても「好きだから付き合おう」とかそういうやり取りは一切二人の間に無かったので、そこのところ聞いてみるとロシアではそういうものは無いと聞き、納得した。

 

「私の事を愛しているの?」というメールが頻繁に届き、毎回「愛している」と返信していた。私はもちろん彼女の事既に心から愛していたし、卒業したら結婚したい願望も生まれていた。私は元々、肝っ玉母さん的な女性に引っ張っていってもらうのが好きなので、「この人だったら引っ張って行ってくれそう」のような感情も、どこかであった。

6. ダリヤについて

ここで、少しダリヤについて書く。

 

ダリヤは19歳、日本滞在中に20歳になった。ロシアによくありがちなパターンなのだが、お父さんがまともに働きもせずアルコール中毒で、お母さんが真面目な働き者で生活をサポートしていた。お父さんは当時、既に年金もらっていたかもしれない。

 

大学で日本語を専攻し、成績はトップクラスで選ばれて交換留学プログラムに参加したらしい。性格はとにかくまっすぐな人で真面目な時は真面目だが真面目なじゃない時もある、普通の若者という時もあるメリハリのきちんとした人だったし、今もそうだ。

 

今思えば、当時から人生の設計をしていたようにも思える。一見、オリガルヒのような超大金持ちと結婚して幸せな人生を計算高くつかみたいタイプにも見えるが、実際は全くそうではなく独自の「幸せ」の価値観を持っている人だ。

 

日本に来たばかりの時はホームシックに悩まされていたが、半年も経つと完全に日本に同化し日本の生活を満喫しているように見えた。急激に体重も増加したようだが。。

5. 付き合ってる?

自宅でダリヤにSkypeを使わせてから、以前よりももっとメールのやり取りが頻繁になってきた。私は完全にダリヤの事が好きになっていた。だけど心のどこかで「自分がこんな人と付き合えるはずも無い」という気持ちもあった。

 

ある日こんな事があった。大学生なので金は無いが時間はあるという毎日で、平日の昼間に寝ていると、起きたのは夕方だった。起きて携帯をチェックするとダリヤからのメールが何通も来ており、最新のメールをチェックすると「やっぱりあなたは来なかったね。あなたは子供で何も分からない。もう連絡しない!」と、なぜか怒りメールが届いていた。メール履歴を過去のものから読み返してみると発端は「今から会いたい。家まで来れる?」というメールから始まっていた。

もちろん私は携帯をミュートにして寝ているので、知る由も無い。私はあわててダリヤに電話をかけると、なぜか「やっと起きたね」的な会話から始まったのを覚えている。

 

ダリヤの家は私が住んでいた町の隣の隣の市で、車で1時間弱かかる場所にある。私は急いでダリヤの家へ車を飛ばしていたところ、スピード違反で切符を切られてしまった。それをダリヤにメールで知らせると返信は無し。

 

ダリヤの家に到着するとダリヤは上機嫌で、目玉焼き2つの上に波模様のケチャップをかけたものの隣にソーセージが置いてある、日本人からしたら謎な料理を用意して待っていてくれた。その際、私の胸ポケットに違反切符と免許証が入っており、「それは何?」と聞かれたので説明すると「捕まったのって、、本当だったのね・・」と申し訳なさそうな顔をしていた。どうやらダリヤは私が家を出るのが遅れてそれを隠すために違反で捕まったと言ったと思っていたらしい。その日はダリヤの家でどんな話をしたのかはよく覚えていない。

 

ダリヤは古い2LDKの大学から提供されている借り上げ寮で他の外国人留学生と同居しているので遅くまで話していたりすると同居人に迷惑がかかるのだ。ただ、ダリヤの部屋のベッドに一緒に座り、けっこう長い時間話していたと思う。

 

ダリヤとは車で色々な場所へ行った。この時期が一番楽しかったかもしれない。私が風邪をひいた時はダリヤは自分の寝顔を自撮りした写真や、白熊のぬいぐるみと一緒に撮った写真とともに「はやくなおるように」と、かわいい日本語でメールをくれていた。ダリヤはいつも赤いパジャマで寝ていた。両親か、親戚かが中国へ旅行に行った時のお土産だそうだ。今もHDDの奥深くに写真が残っているが、パジャマ姿のダリヤは綺麗というレベル越していた。しつこいが、アヴリル・ラヴィーンに激似だった。。

 

こんな毎日が続き、ある日別れ際に車の中で「キスは?」とダリヤから聞かれるのであった。私は緊張を通り越してもう何して良いのか分からず、沈黙の後恐る恐るダリヤにキスをすると「それはキスではありません」と言われた。二人で深いキスをするとダリヤは微笑み、「じゃあまたね」と車から降りていった。その20分後くらいだろうか。「キス良かった」とハート絵文字とともに携帯にメールが届いた。

 

結婚した今でもダリヤとの思い出は自分にとってかけがえの無いものであり、これらのメールは思い出としてYahooメールに「ダリヤフォルダ」を作って保存していたのだが、数年前にミスって消してしまったのである。

 

この頃、「俺はダリヤと付き合ってるか?それにしては日本恒例の告白とか無かったよな?どっちにしても良い展開なんだけどなぁ」と、よく分からない気持ちの日々を過ごすのであった。(つづく)

4. 転機

転機は突然やってきた。

 

ダリヤが携帯を契約したのである。なぜかここだけ記憶がぶっ飛んでおり思い出せないのだが、何かの方法で番号とアドレスを交換したのである。ただ、記憶がぶっ飛んでいるという事は、変わった交換方法とかはしないで単に友人経由だった可能性が高い。

 

ダリヤの携帯は当時、ガクワリプランのあったauezwebのメアドだった。しかもだ。ここからまた記憶がぶっ飛んでいる。なぜか分からないが、比較的頻繁にメール交換をするようになったのだ。

 

ダリヤが来日して3カ月くらい経っただろうか。ダリヤはホームシックにかかっており、パパやママ、地元の友達と会いたがっていた。「日本人はシャイで静かすぎる。全てが静かだ」と文句を言っていた。少し不安定になっていた。今考えると多分、神々しいオーラで逆に周りも積極的にダリヤと仲良くなりたいアピールも何も出来なかったのではないだろうか。

 

その当時はスマホのアプリで無料通話なんて方法は無かったので、国際電話はカードを購入するのが一般的だった。しかしダリヤはそれを知らず、携帯からダイレクトでロシアと長電話していたため4-5万の請求が来たと嘆いていた。

 

そこで私は、自分のPCで使っていたSkypeでクレジットを購入し、ダリヤに「好きなだけロシアに電話していいよ」と提案した。もちろん、自分のPCは自宅にあるので自宅に来てねという意味である。ダリヤは喜んで自宅に来て何時間も両親や友達と電話をしていた。その日は通話が終わったら何か簡単な料理を作ってくれ、それを一緒に食べてダリヤを家に送っていった。

 

今思えばここら辺が、私とダリヤの関係性が変化する「転機」であった。